だから日本人の「コメ離れ」が進んでいった…アメリカの”安い小麦”を全国各地の食卓に広めた黒幕の正体
「アメリカが戦後日本に小麦食を広めた」説は大ウソ
https://cigs.canon/article/20251010_9295.html日本人のコメ離れが進んでいる。その原因は何か。キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は「小麦輸出を進めたいアメリカの戦略という意見があるが、それは誤りだ。戦後、小麦の輸入を望んだのは日本側だった」という――。
「小麦の消費が増えて、コメの消費が減り、コメの減反を余儀なくされているのはアメリカのせいだ」という主張がある。
アメリカの小麦業界は1950年代後半から日清製粉をはじめとする日本の製粉業界と二人三脚で日本の小麦市場を開拓しようとした。本来畜産物の消費が増加すれば、穀物消費は減少するはずなのに、パンやスパゲティだけではなく、うどんやラーメンなどの小麦製品の消費も拡大した。半面コメの消費は減少した。
NHKの記者だった高嶋光雪氏は主としてアメリカの小麦業界に取材しNHK特集「食卓のかげの星条旗」を製作し、これをもとに『米と小麦の戦後史』を出版している。これを、コメ価格高騰の責任を回避するとともに国内農業の保護を高めたいJA農協系の新聞や学者が高く評価している。
しかし、米麦について起きたことはアメリカのせいなのだろうか? 確かに我が国はアメリカとの間にさまざまな問題を抱えているが、アメリカとの同盟関係は日本の政治・経済・外交・安全保障の基軸である。この主張は国民が抱えているある種の反米感情に付け込み、日米の同盟関係にクサビを入れようとしているに過ぎない。
結局のところ、日本人のコメ消費が減少し、値段が高騰したのは、アメリカのせいでもましてや製粉会社のせいでもない。本稿で、その事情と背景を述べたい。
農家がコメを食べ始めたのは戦時中
アメリカの小麦戦略が始まったとされる1954年をはるかにさかのぼる戦時中から、配給制度によって日本人の食生活は大きく変更されていた。
現代人の通念と異なり、戦前まで、農家はコメを食べていなかった。コメを食べていたのは都市住民だった。小作人は収穫量の半分を小作料として地主に収めていた。残る半分も、自分で食べるのではなく売って現金を得て、肥料など農業資材の購入や生活費に充てていた。食べていたのは、水田の畦などに植えていたアワやヒエなどの雑穀だった。逆に、都会に出てきた住民は工業化による所得の増加でコメを食べるようになった。
しかし、戦時下で食料の供給が困難となり配給制度が始まった(集大成したのが1942年の食糧管理法である)。農家は生産量と自家消費米の差を政府に供出することが義務付けられた。自家消費米には翌年作のための種籾が含まれているとはいえ、農林省によって都市住民に対する一日一人当たり2合3勺の配給基準量を大きく上回る4合の配給基準が認められた。
また、農家の所得が上がるにつれて農家のコメ需要が高まった。このため、配給制度が始まってから、農民の間に米食が普及し始めた。1944年農林省・食糧管理局長官の湯河元威は「管理制度施行後、いわゆる一種の悪平等として農家の米の消費が増えてきたことは争へない事実」と認めている(「決戦下の食糧政策」『村と農政』1944年6月号)。
ご飯とお寿司は別
と勘違いしてるとか
また政府に飼われた嘘つきかよ
>現代人の通念と異なり、戦前まで、農家はコメを食べていなかった。コメを食べていたのは都市住民だった。小作人は収穫量の半分を小作料として地主に収めていた。残る半分も、自分で食べるのではなく売って現金を得て、肥料など農業資材の購入や生活費に充てていた。食べていたのは、水田の畦などに植えていたアワやヒエなどの雑穀だった。逆に、都会に出てきた住民は工業化による所得の増加でコメを食べるようになった。
食ってんじゃん
食ってなかったって言ってる農民の方もコメが食いたいのにイヤイヤ雑穀食ってて、昭和になってコメが食えるようになって歓喜したって話だろ
こいつはいったい何が言いたいんだ
山下とかいうJAと零細農家叩きしてる元官僚だからね
減反指示出してきた農水省にいたのにw
まんま今の東京に搾取される地方の姿そのまんまだな
それがジャップの歴史の浅さ浅はかさ
実際やめてる
だから供給量は需要量に応じてどんどん減ってる
パンとパスタに切り替わってコメ0Kgになった
年間120Kg食べてたコメがパンとパスタになってコメは0Kgになった
チェンソーマン見過ぎだな
少ないおかずで沢山のご飯を食べていた
戦後食糧事情が良くなるにつれておかずの量が増えて更にはパスタやパンと言った主食も出てきた
今の人は1日2合もコメをたべればかなり食べてる方だろう
それなら聞いたことがある範疇の話だな


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