北日本地方に住む40代の小川マリさん(仮名)は、夫にも言えない秘密を抱えて生きてきた。
子どもの頃、母が連れてきた養父と暮らす中で、体を触られていたのだ。やがて男は母と別れ、ほっとしたのもつかの間、次に母が連れてきた養父から性的暴行を受けた。勇気を振り絞って母に相談したが、返ってきた言葉で絶望のどん底に突き落とされる。それからは自暴自棄になり、乱れた生活も送ってきたという。
大人になり、夫と出会ったことで救われた今も、過去のことだけは誰にも打ち明けられなかった。男は今も、母と一緒に生活している。母は男が小川さんにしたことを知らないままだ。
小川さんは声を押し殺してこう言う。「一生許すことはできない。子連れで再婚する人は、私の体験を頭の片隅に置いておいてほしい」(共同通信=宮本寛)
養父から性虐待、母に打ち明けたのに「勘違いじゃないの?」 絶望して自暴自棄に…夫にも言えない過去(共同通信) - Yahoo!ニュース北日本地方に住む40代の小川マリさん(仮名)は、夫にも言えない秘密を抱えて生きてきた。 子どもの頃、母が連れてきた養父と暮らす中で、体を触られていたのだ。やがて男は母と別れ、ほっとしたのもつかの間news.yahoo.co.jp
小川さんは実父の顔も名前も知らない。非嫡出子として生まれ、祖父母の家で母と暮らしてきた。6歳のころ、母が見知らぬ男を連れてきた。
「新しいお父さんと住むから引っ越すよ」
3人で、狭い長屋のような家で暮らし始めた。男は最初は優しかったが、小学3年になったころ豹変する。暴力を振るうようになったのだ。仕事をしなくなり、家で酒を飲むばかり。小川さんの顔やおなかを殴る、蹴る。母はフルタイムで働いているため、小学生の自分がほぼすべての家事をこなした。
小学6年からは体を触られるようにもなった。男の機嫌が悪かったり、母との仲がぎくしゃくしたりすると、触ってくる。拒否すると殴られた。触らせておけば、男の機嫌はよくなった。「我慢するしかなかった」
家に帰るのが嫌になり、学校の図書室で本を読んだり勉強したりして過ごすようになった。図書館にいる時間が一番楽しかったという。
そのせいもあってか学校の成績は良く、家で通知表を見せると、男にこう言われてまた殴られた。
「そういうのは必要ない」
性的な被害を、忙しい母に相談する勇気はなかった。「私が我慢すれば家族はなんとかなる」。周囲に心を閉ざし続け、友達もできなかった。
男の言動は次第にエスカレートする。「中学を出たら働いて家に金を入れろ」
母にも暴力を振るうようになり、祖父母に金の無心をした。結果として2人は離婚した。
「あーよかった」「これでおびえなくて済む」
平穏な生活はつかの間だった。中3の時、母は別の男を家に連れてきた。この男も働かなくなり、家でずっと酒を飲むようになった。酒を飲むと怒鳴る。耳をふさいで暮らす日々。家計は母が支えていた。
この男の気持ちの悪さは、母との性行為を、自分にわざと見せつけるようにすることだった。そして高2の時、性行為を強要された。母が仕事でいない時を見計らっていたようだ。恐怖で抵抗できない。その後も何度も被害を受けた。
高3になったある日、家には珍しく母と自分しかいなかった。
「今しかない」
勇気を振り絞ってこう切り出した。
「お父さんが気持ち悪いんだ」「その、体を触ってくるというか…」。
震える声を必死で抑え、精いっぱい話した。
だが、母の返事は予想外だった。
「あんたみたいな子どもにそんなことするわけないでしょ」
「勘違いじゃないの?」
6歳で祖父母の家を出て以来、母は唯一の拠り所。だが、その母は救いの手を差し伸べるどころか、頭ごなしに娘の告白を否定した。他に頼るすべはない。当時はインターネットも普及しておらず、役所の相談窓口の存在すら知らなかった。
絶望してトイレに駆け込んだ。涙があふれ出していた。「もうどうにもならない」「本当のことをお母さんが知ったらつらいし、悲しませたくない」
大学進学を希望していたが、家計に余裕はない。それでも、奨学金と高収入のアルバイトを掛け持ちして「自分でまかなう」と告げ、無理を言って地元の大学に入った。1人暮らしをするお金はない。自宅から通わざるを得ず、男は隙を見て性暴力を続けた。
被害に遭わないようにするには、家にいないこと。キャバクラや塾講師などのアルバイトを詰め込み、できるだけ帰らないようにした。
キャバクラで働くうちに、気付いたことがあった。それは、「性」が対価になること。若い女性というだけで、お客さんは喜んで金を使う。
「あの男たちにとって私は義理の娘ではない。若い女でしかなかったんだな」
就職活動はちょうど「氷河期」で、苦しかった。数十社を受け、内定をもらえたのは1社だけ。それでも「やっとこの時が来た」。念願の1人暮らしを始めた。
男は執念深く「この家から通いなさい」と高圧的に命令し続ける。母は1人暮らしを認めてくれたが、男はその後も、頻繁に電話をかけてきた。
「何で帰ってこないんだ。早く帰ってこい」
おぞましいとしか思えなかった。「忙しい」と連呼して拒否し続けた。
やっと養父から離れることができたが、精神的には深い傷を負ったままだった。
暗い記憶が常に頭をよぎり、劣等感を抱いた。「自分はダメな人間だからあんな被害に遭ったんだ」
おぞましい過去を上書きしたい一心で、何人もの男性と関係を持つようになった。そういう時の男は優しく、「大事にされている」と思えるからだ。居酒屋でたまたま隣にいた男性と関係を持ったり、二股をかけながらだったりということもあった。
私生活はどんどんおかしくなっていったが、根底にはこんな思いもあった。
「私の体はとっくに汚れてしまった」
「どうせたいした体ではない」
そんな生活を5年以上続けていた時、夫に出会った。ひときわ優しく、趣味も合い、声を荒らげるようなことは決してしない。ほかの男性との関係もなくなり、付き合って結婚した。
ようやく幸せになれたと感じた。一緒にいると居心地がよく、自然体でいられる。でもその分、反動で罪悪感も増大する。
「ものすごい隠し事をしている」
分かってはいる。でも、平穏な生活が壊れるかもしれない恐怖や、夫を傷つけたくないとの思いから、とても打ち明けられない。
今も男性の大声は苦手だ。テレビドラマの場面だと分かっていても、思わず体が硬直してしまう。
母は今も、被害の詳細を知らないままあの男と一緒に過ごしている。男は数年前、転んで脚を骨折。体が弱くなり、入院するようになった。認知症の兆候も出ている。
母に頼まれて男に会ったが、誰だかよく分かっていない様子に見えた。それでも、姿を見ただけで気持ち悪くなる。心に刻み込まれた傷痕は決して消えていないことが分かる。この男を一生、許すことはできない。
ヤリマンで草
世の中の大半の男は養父にレイプされた話よりこっちのエピソードのほうが許せないんやが
女性はそのあたり理解してほしい
理解しろとは?
理性すらないなら結婚しなきゃいいだけ
自分の遺伝子じゃない子供を育てるなんてどんな罰ゲームだと思ってんだ
直球すぎワロタ
言わないだけでみんな思ってるよな
心がめっちゃ擦り減っとるがな
言いたくないなら墓場まで持っていけばええと思うし
すきにせえ
まずは母親がかなりのダメ女だよな
類は友を呼ぶ方式や階層理論で同種の男を呼び込む図式



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